『讃美歌21 主よ,終わりまで-恵みに生きる』
(ビクター VICG-60280)

1.主が建てなければ<159番>
2.ガリラヤの村を<105番>
3.アブラハム・アブラハム<184番>
4.神の賜物を<556番>
5.キリストよ、光の主よ<222番>
6.キリストの前に<543番>
7.主よ、終わりまで<510番>
8.愛する二人に<104番>
9.世界中の父や母を<546番>
10.さすらいの民よ<399番>
11.苦しみ悩みの<526番>
12.主よ、私たちは祈ります<501番>
13.何ひとつ持たないで<453番>
14.人は畑をよく耕し<386番>
15.主イェスを想えば<477番>
16.この世にあかしを立てて<379番>
17.わたしたちを造られた神よ<549番>
18.くすしきみ恵み<451番>
19.死はひそかに<110番>
20.光かかげよ、主のみ民よ<573番>
21.新しい天と地を見たとき<580番>
22.「詩編43による変奏曲」より
『讃美歌21』ですが、1954年版の『讃美歌』の改訂で日本基督教団の手で1997年に成ったものです。改訂にあたっての共通理解については『讃美歌21』のまえがきに8点が記されていますが、
6.欧米に限らず世界各国、各民族の賛美歌、日本人の作品
8.用語や歌詞、音楽の面でも、現代の会衆が理解できる歌、またその感性に応じる歌
ということも記されています。
例えば、4曲目に入っている「神の賜物を」は多くの讃美歌の詞を作った松山高吉の作詞ですが、彼は1935年に亡くなっていますから詞は当然古いままです。それを1996年に改訂委員会が改変したものが使われているわけですが、学校生活を記した歌詞は見事に現代化されたといえるでしょう。
ただ、これは歌ですから、楽曲+歌詞でどれくらいの力があるのかというのが問題になるかと思います。明治期に新体詩が生まれるにあたって翻訳された賛美歌の歌詞というのは結構影響を与えたのですが、そのために歌詞の文学性にけっこうこだわりがあるようです。歌詞の文学性が高くとも音楽性はそれとは別というのが私の感覚ですが、これは讃美歌の場合にはアヤシイ意見かも知れませんねぇ。まぁ、歌詞だけを見たなら、この感覚はわかるということはありますが。ここに採られている作品では2・4・6・8・15・17あたりになります。
さて、これらの作品のうち6・10・12・17は作曲が日本人です。しかしながら、これらの感性は西洋のものです。合唱が主ですから歌い方も西洋、つまりクラシックからは何も出ていないわけです。作っている側がそれを理解していればいいのですが、日本語で歌われていてもそれだけでは独創性が生まれるわけではないでしょう。
おそらく、このアルバムに関わっている方々は西洋的な素養に浸ってきたのでしょうから、そこから離れるということは難しいだろうと思います。ですので、このアルバムがクラシック色であることは必然でしょうが、こういった聖歌隊的な世界の外にいる方々と感性が感応しあえるだろうかといえば、それも無理かなと思います。変なJ-Popの影響を受けるのも困りものです(^^;が。
アルバムとしては点数をつけることはありませんし、人に薦めることもないのですが、それは音楽面の話ですね。言葉が示している世界は嫌いではないので、そうでなければ紹介はしないでしょう。とはいえ、それは音楽側ということでもないわけです。
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