「脳死」を生きる子どもたち

 読売ウィークリーの2月17日号では、News & Topisの中で目立ちませんが背が伸び、歯も生え替わる「脳死」を生きる子どもたちという記事が載っていました。
 この記事では重い脳障害で人工呼吸器を装着した子供と家族を取材していますが、アンケートは14家族から取られています。そうして、14人中11人で消失していた自発呼吸・脳波・刺激への反応・体温調節のいずれかの脳機能が若干でも回復していたという結果が出ています。
 子供たちですから正式な脳死判定を受けてはいないのですが、それでも「現在の脳死判定基準では、子供の脳死を正しく判定できない」と解釈できるのではと記者の方は記されています。
 また、「脳死診断」の方法がいい加減なため、脳死といわれながら脳機能が若干でも回復するようなことが起こるという解釈もありうる事も記者の方は書かれています。
 簡単にいえば「脳死は疑わしい」と見なせるでしょうか。
 そして、14人中5人は既に亡くなっているのですが、家族の方が社会へ伝えたい言葉も重いものです。「(臓器移植法の)法改正論議を聞くたびに「提供しろ」と言われるようで不安に駆られた」という方もいらっしゃいますし、「医療費の負担で親を経済的に追い詰め、臓器提供に誘導することだけはやめてほしい」という声には社会・政治への不信も感じられます。「脳死が人の死となり、脳死状態からの臓器提供が圧力となる社会になれば、病院も今と同じような治療方針で救命にあたってくれる保証はない」という不安は、自らの子供が重い脳障害であったことで見えてしまった世界でしょう。
 さらに「人の命をあてにした移植法は作るべきじゃなかった」というのは、子どもたちの訴えではないでしょうか。そう感じられてなりません。

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森岡正博さんのエッセイ

 大阪府立大学教授の森岡正博さんが書かれて、『朝日新聞』大阪版、2006年10月6日・夕刊に掲載されたエッセイの「脳死移植、「匿名」貫け 移植法改正案、ぬぐえぬ臓器売買の危険性」ですが、生命学ホームページに掲載されましたので、掲示板で「みなさんどんどんリンクしてください」と書いていただきましたので、ここでも紹介させていただきます。

URL=http://www.lifestudies.org/jp/noshiho02.htm

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脳死についてはあまり触れたがらない

 その他の宗教関係者の発言を『私の臓器はだれのものですか』から引き続き紹介していきます。
 大阪大学名誉教授の大峯顕氏の発言は初出が1990年に北窓出版から出された『脳死』ということですから、その後明らかになっている事実を知られたならば発言が変わっているかもしれませんが、この時点では「脳死を判定され死者となっているのに」と記されて脳死・臓器移植に賛成するコメントを記されています。
 ただ、脳死・臓器移植に賛成する立場の方の場合、脳死についてはあまり触れたがらないという傾向はあるように思います。ですので、上記のような条件付けをされる方は今でもけっして少なくはありません。
 何か触れられないようなことがあるのでしょうか。

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『私の臓器はだれのものですか』

 『私の臓器はだれのものですか』によれば、アメリカでは死についての教育をする死生学は盛んながら、死の定義そのものについてはほとんど議論されることがなかったようです。それ故、脳死=死とスムーズに進んでしまったようですが、臓器移植そのものについても理解が進んでいるように見えても、実際にドナーになると家族の50%は提供を拒否するという報告を2000年にUNOS(ユーノス 全米臓器移植ネットワーク)が出していますから、臓器移植に抵抗がないということではなさそうです。
 ところで、この『私の臓器はだれのものですか』ですが、龍谷大教授の生駒孝影の著作です。生駒の見方はは臓器移植は日本でもさかんになっていくだろうという見解にありますが、著作自体はあくまでも現状分析という内容です。また、専門が日米現代宗教論ですので、自身は仏教徒でありながらアメリカの宗教にも詳しいという立場にあります。
 さて、では次回からはこの作品の中に記されている宗教関係者の脳死・臓器移植の捉え方を見ていこうと思います。

参考文献
生駒孝影 『私の臓器はだれのものですか』 日本放送出版協会(2002年)

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『検証!「脳死」臓器移植』

 臓器移植法制定後の臓器移植にも実際には問題点が数多くあるということを示してくれた書物として、『検証!「脳死」臓器移植』があります。2002年にさいろ社から出されたもので、編集は「脳死」・臓器移植による人権侵害監視委員会・大阪と「脳死」・臓器移植に反対する関西市民の会になります。こうした動きが関西で粘り強く続いているのは、人権侵害であることを勧告された大阪府立千里救命救急センターの実例を実際に知っているからでしょう。『脳死・臓器移植の本当の話』でも、この本は重要な参考文献の一つであるように思われます。
 『脳死・臓器移植の本当の話』に関係のある書き込みはこれでいったん終わりにしますので、『検証!「脳死」臓器移植』の目次紹介は済ませておこうと思います。

【第1部】「脳死」臓器移植 人権侵害の実態 冠木克彦…1
 違法な無呼吸テストに日弁連が「人権侵害」勧告 大阪府立千里救命救急センター事件…2

  無呼吸テストの危険性は、専門家も指摘…4
  第1回法的脳死判定で無呼吸テストをするのは早過ぎる…5
  患者に最大のダメージを与える無呼吸テスト…6
  これは私の主人ですか! 輸液で水ぶくれ救命治療よりも優先される臓器摘出…7
  故意に「脳死」にして、臓器を保存…9
  「脳死」が確定する前に、救命打ち切り…10
  救命医療への信頼を裏切り、臓器提供意思だけ「尊重」…11
  従来の脳蘇生治療より進歩した「脳低温療法」…11
  小児の脳死判定は困難…13

 法的脳死判定の途中で患者が咳をした 福岡徳州会病院事件…14

  脳は回復、積極的に救命すべきだった…15
  間違いだらけの脳死判定…17
  治療したのか…17

 怖いくらいに問題が多い、1例目の「脳死」 高知赤十字病院事件…20

  手術せず帰宅 中枢神経を抑圧しておいて脳死判定 何回も無呼吸テスト…21

【第2部】この4年間でわかった「脳死」 「脳死」・臓器移植に反対する関西市民の会…23
 「死体」になぜ麻酔が必要なのか?「脳死」患者が臓器摘出時に「痛み」を感じている可能性…24

  臓器摘出時に麻酔薬投与…24
  「脳死」判定後に脳波が…27
  脳死概念の終焉…28

 非科学的な脳死判定 調べれば調べるほど出てくる、生命の証拠…30

  「脳死」を乱用する研究者…33

 救命に反する臓器保存術 ドナーカードを持っていたら、救命治療よりも臓器提供を優先…35
 3徴候死も無視した「心停止」からの臓器摘出 最高血圧50~60mm/Hgで死体扱い-心室細動が2分以上続けば心臓死?…38

  このほかの移植医療における問題…40

【第3部】千里救命救急センターに対する日弁連の勧告書…43
 千里救命救急センターに対する日本弁護士連合会の勧告書 日弁連総第83号 2002(平成14)年3月25日…44
 千里救命救急センターから日本弁護士連合会への回答 大保発千救第21号 平成14年7月1日…55

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意識も感覚もない?

 人間の意識が永遠に失われたことを確認するのは生体解剖しかありませんから、これは不可能な話です。
 では、脳死者に意識が残っている可能性はどうして懸念されるのかといいますと、臓器摘出時のドナーの状態からです。
 イギリスでは脳死=脳幹死としていますので状況がことなりますが、ともかくもイギリスでは臓器摘出時に頻脈や血圧上昇を示すという報告が少なくないようです。
 通常の手術時でもこういった現象は普通に見られ、その際には患者が痛みを感じていると判断して麻酔量を増加します。
 では、ドナーをそのままにしておいたならどうなるのか。ノーフォーク・ノリッジ病院顧問麻酔医のフィリップ・キープはインタヴューで「何もしなければ、患者は動き出し、のた打ち回りはじめ」と答えています。この患者は脳死とされた患者です。
 では、日本ではこういった例はないのかといいますと、実は臓器移植法成立後の最初の臓器移植の例となった高知赤十字病院での例で血圧上昇が報告されています。したがって静脈麻酔と麻酔ガスをかけて血圧がコントロールされています。
 その後の移植例ではどうやら血圧の報告は見られないようです。公表できない理由があるからとしか思えません。
 また、第3例の古川市立病院での例では筋弛緩薬が投与されています。たしかにこれなら患者は動けません。つまり、脳死者が動くことは常識だということなのでしょう。

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遠からず確実に死ぬとはいえない

 脳死者については、「意識も感覚もなく遠からず確実に死ぬ」というのが定義といえるでしょう。そして、この"遠からず"とはせいぜい数日間という意味合いで使われていました。しかし、1998年にUCLAの小児神経学教授アラン・シューモンがNeurology誌に寄稿した「慢性脳死-集積分析と概念的帰結」はこの通説を見直させるものとなりました。
 シューモンは過去30年の脳死関係の記事・論文を2100件余りを調べ、その中から脳幹死を脳死としているイギリスや、その他で信用するに足りないと判断したもの以外から、175人の脳死患者は一週間以上心臓が動き続けていたことを探り出しました。
 そして、情報が充分に盛られている56人を精査したところ、28人は1ヶ月以上心臓が動き続け、そのうち17名は2ヶ月以上、9名が4ヶ月以上、7名が6ヶ月以上、4名は1年以上も心臓が動き続け、最長の例はシューモンの論文以降も存命で2003年春時点で脳死判定から19.5年を経ても心臓が動き続けているという現在進行形の状態です。
 こういった長期脳死者には傾向はあって、上記の4ヶ月以上心臓が動き続けた例は、全て18歳未満で脳死と判定された患者で、また、最初に脳に障害が発生した患者の方が長命です。別言すれば6週間未満で心停止を迎えた脳死者の場合は、交通事故などで先に内臓などにダメージを受けたことが心停止の原因ではないかと考えられるということです。
 この論文は結局のところ「脳が機能停止しても体の有機的統合性は必ずしも損なわれない」ということを明示しましたが、そうしますと日本の「脳死臨調最終報告」全体としての有機的統合性が失われた状態が人の死としていますから、脳死を人の死とは出来ないということになります。

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脳死の死

 日本語としても「脳死の死」は美しくありませんが、意味もとりにくいですねぇ(^^;。

 かつて不可逆昏睡と呼ばれた状態は現在も出現するわけですから、いわゆる脳死状態というのは実際にはあるわけです。ただし、その脳死の定義や脳死判定基準なるものには疑問があるということで、定義としての脳死は死んだのではないかというのがタイトルの意味になりますし、脳死判定基準はアヤシイということも含めています。
 『脳死・臓器移植の本当の話』では、第3章が「脳死神話からの解放」というタイトルで判定基準の不備と、それによって導かれる定義としての脳死への疑問があり、第4章へと繋がっていきますが、この章の中身を目次よりもう少し丁寧に、つまり細かい見出しを含めて紹介してみます。以下の青字の部分が目次には出てこない細目です。

第三章 脳死神話からの解放
    (1)脳死という言葉のもつれ
       脳死の三つのレベル
       定義の有効性を吟味する
       "死体"が子どもを生む
       なぜ死人に麻酔を打つのか
    (2)意識や感覚はないのか
       
       脳波検査の真実
       脳波で心はわからない
       摘出時に脈拍と血圧が上昇
       脳死者に残存する意識
    (3)身動き一つしないのか
       
       脳死者は動く
       ラザロ徴候の衝撃
       日本におけるラザロ徴候の報告
       呼吸しているものを死者と呼べるか
       見直すべき脳死判定基準
       人間的な動きをする"死者"
    (4)遠からず確実に死ぬのか
       "死んだも同然"とは
       十四年以上生きている脳死患者
       "元気な"脳死者
    (5)脳は体の有機的統合体を統御しているのか
       シューモンの決定的批判
       あいまいな有機的統合性の概念
       脳の統合機能に疑問
       脊髄の統合機能への着目
       脳死を死とする根拠は薄弱
       脳を過大視することへの警告
    (6)脳死者だけが「機会によって生かされている」のか
       マイナスイメージの表現
       機械に依存しているのは脳死者だけか
       残酷な論理を正当化する
    (7)なぜ「脳死」と呼ばれるのか
       理屈では納得できない心理
       医学論文か政治文書か
       「慣れ」の背後にある政治戦略
       「脳死」という呼び名
       "脳死"は"精神の死"を意味するのか

 小見出しの下に1行分が空いているところは、小見出しに続いて文書が始まっているところです。
 だいたいどういうことがかかれているかがわかる細目ですが、「脳死者に残存する意識」という箇所は誤解されるかも知れませんので、もう少し触れておきますと、ここでは脳死者に意識が残存すると断言しているのではなく、脳死者に意識が残存する可能性があるということを記しているだけです。

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"脳死"の歴史(2)

 ところで、不可逆昏睡の出現は1950年代になります。この時期に人工呼吸器が開発されて、自発呼吸が止んでも酸素の供給ができるようになって、脳機能が停止したまましばらく生存する、いわゆる脳死状態が現れてきたわけです。
 この状態の利用に臓器移植が行われるようになると注目があつまって、不可逆昏睡が"脳死"となり、脳死者は意識も感覚もなく遠からず死ぬと定義され、それならば移植に利用しようという流れが一般的にされました。
 しかし、この脳死の定義は1990年代にはすでに崩壊したと見ていいと思います。脳死とされた方にも意識や感覚は残っている可能性があると思われる事例は少なくありません。それらのいくつかは『脳死・臓器移植の本当の話』で触れられていますが、ではそういった脳死者から臓器を取り出すとはどういうことになるのかと考えると、おそろしい自体が美名に隠されて進行しているとしかいいようがありません。
 2006年の国会では臓器移植法の改定も論議され会期切れとなっていますが、臓器をより多く移植することのみ考えられて、脳死そのものを問い直すという動きは国会では感じられません。
 たしかに、移植を推進する側に立った方が政治献金が期待できますからね。

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"脳死"の歴史(1)

 脳死という言葉が市民権を得ているかどうかといえば、知っている方のほうが多数だろうと思いますので、市民権を得ているといっていいでしょう。しかし、「脳死とは何か」ということを自分の言葉で説明できる方は少ないのではないでしょうか。ただ、脳"死"だから何となく死んでいるんじゃないかと思われる方が多いのだろうと思います。そして、そのあたりに脳死を人の死としようとした動きが感じられるようです。そこで、実際に"脳死"が作られた過程を小松美彦『脳死・臓器移植の本当の話』(PHP新書 2004年)から見ていこうと思います。
 先ず"脳死"という言葉は1968年に誕生しています。前年12月に南アフリカで世界最初の心臓移植手術が行われて、あたかもそれに合わせるかのように、不可逆昏睡が"脳死"と改称されたのです。
 そのきっかけとなったのが、1968年8月に公表された「不可逆昏睡の定義-脳死の定義を検討するためのハーバード大学医学部特別委員会報告」、俗称「ハーバード大学脳死判定基準」とされるものです。
 この報告の第一の目的は"不可逆昏睡を死の新たな基準として定義すること"で、その理由の2番目に"時代遅れの死の基準に頼っていては、移植のために臓器を得る際に論争を引き起こしてしまうおそれがある"からとあります。
 つまり、初めから臓器移植の合法化が目的で、この結論を受け入れさせるために作られた論文だということです。ですので、小松に拠ればこれは「政治文書という色彩が濃い」ということで、"脳死とは臓器移植を合法化するために生み出された言葉である"といってしまっていいでしょう。

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