森岡正博さんのエッセイ

 大阪府立大学教授の森岡正博さんが書かれて、『朝日新聞』大阪版、2006年10月6日・夕刊に掲載されたエッセイの「脳死移植、「匿名」貫け 移植法改正案、ぬぐえぬ臓器売買の危険性」ですが、生命学ホームページに掲載されましたので、掲示板で「みなさんどんどんリンクしてください」と書いていただきましたので、ここでも紹介させていただきます。

URL=http://www.lifestudies.org/jp/noshiho02.htm

| Comments (0)

佛教思想の必然的帰結とされては困る

 愛媛大学教授で、東大寺で得度された三上修平氏は「脳死」・臓器移植に対する立場は不明ですが、臓器移植への反対論や慎重論を「佛教思想の必然的帰結であるかのように主張されると、(中略)困る」と『中外日報』1999年6月24日号で記されているそうですが、これはわかります。たしかに同じ視点で捉えるべき事柄ではないでしょう。
 京都女子大学教授で本派本願寺派の僧侶でもある徳永道雄氏も、同派の2001年3月のシンポジウム「生死を問う」で「"脳死・臓器移植が是か非か"というような問題は、仏教的な立場ではこれを論じることはできない(中略)仏教が医学の土俵に入っていって相撲することになる」と批判され、「否定論者の説は、私から見ますと非常に感情的なものだと思われます」と述べています。仏教的な立場でのみ「脳死」・臓器移植を否定するならおかしなものでしょう。従ってこれに賛成する立場の台湾や韓国の仏教界では日本の仏教界に対し、妻帯や肉食をしているのになぜ「脳死」・臓器移植にのみ根本仏教の立場から否定するのかという反論が強いようです。この反論も妥当なものでしょう。
 現実には「脳死」・臓器移植に反対する一般の方々は脳死判定の不可能さや脳死の定義への疑念から反対しているわけですから、宗教的立場が先行しているわけではありません。逆に賛成論では欧米などではキリスト教の立場から賛成というような宗教優先的な面も見られますが、これもおかしなものでしょう。また、キリスト教の立場=賛成という帰結も疑問です。賛成させるために宗教を利用しているのではないかという感じがどうも拭えません。
 さて、『私の臓器はだれのものですか』からの意見も、このあたりでいったん終わろうと思います。

| Comments (0)

臓器移植法の成立とともに不起訴

真言宗豊山派西明寺住職でもあり、普門院診療所の内科医である田中正博氏は、1992年に北里大学病院で実施された腎臓移植に関連して殺人罪で告発されたことがあります。
 これは同年に回復の見込みがない患者さんの治療の中止の可否を家族に相談したところ臓器提供を申し出られたので腎臓移植が実施されたためでした。
 家族の申し出が先だとすれば裁判が維持できたかどうかはわかりませんが、臓器移植法の成立とともに不起訴になることについては納得がいきません。事件が起こった際に行われたことは明らかに違法な医療行為だったのではないでしょうか。
 もっとも、腎臓移植に関しては「脳死」・臓器移植に反対する関西市民の会のサイトなどを見ますと、臓器移植法以前に脳死臓器摘出は百数十例というような発言も実際にあるそうですから、検察が忙しすぎたのかもしれませんねぇ。

| Comments (0)

生命はモノではない

 『私の臓器はだれのものですか』で紹介されている中に、日蓮宗本念寺住職の石川浩徳氏の発言があります。彼の特異な点は実子が心臓に疾患を持っていたこと。そして、心臓移植もすすめられ、和田移植の和田寿郎医師と相談した経験があることでしょう。
 その上で、移植には反対の立場をとっていますが、これは和田医師との相談が決定的で「悪いモノは取り換えればよろしい」と返答されたことで、逆に生命はモノではないと感じ、"我が子のことだけを考えていた自分に恥ずかしさを覚えた"と語られています。
 石川氏の体験は、移植の本質=臓器・人間をモノと考えるを捉えているのではないでしょうか。
 この発言の初出は『文化時報』1999年3月27日号ということです。

| Comments (0)

その他のカテゴリー

KTM | LRT | コネタマ | バス | 宗教 | 病気 | 脳死 | 臓器移植 | 自然・アウトドア